この世の修業が終わるとき

逃げられない修業

父は、親戚が亡くなると「この世での修業が終わったんだ。だからこれからは浄土に行って、ゆっくり休むんだよ」と言っていました。

いったんこ
この世は、修行の場なの?

その時の気持ちが、どのようなものだったかははっきり覚えていませんが、父の言葉を聞いたときから、私に降りかかる嫌なことや面倒くさいことは「逃げられない修行」と考えるようになりました。

そしてもう一つ、母からのお役立ちコメント?

神様は、乗り越えられない試練は与えない

正直、聞きたくなかったです。

わたし
乗り越えられるという事が確約されているって言っても、いまはしんどいんだ。

父は、男の子の生まれなかった本家に、生まれてすぐに養子に出された。育ての親たちには良くしてもらったのですが、実の親ではないことを中学入学のころに知らされたらしいのです。

どういう、心情だったのだろう。想像だにできなません。

本家の養子となるという事は、本家を継ぐ・・、つまり家業をついで墓守をするという事になるのでしょうけど、私の記憶に本家の家業がなんだったのかわかるような記憶はありません。

「墓守」がついてまわる長子。

父が養子にまで行って継いだ本家だが、これまた男子が誕生することなく、私は3人姉妹の長女となりました。

ものごころついたころから、「長女なんだから。婿さんもらって後を継げ」と言われて育ちました。

小さい子供のわたしには、「どこまでもお墓が付いてくるよー」という感じです。

それに両親は、お盆・彼岸・法事のたびに私をしっかりお墓に連れて行きました。

そうやって教育しておこうという考えだったに違いないんです。

法事で親戚が集まれば叔父さんたちから「跡継ぎだ」と言ってからかわれる。

いわゆる、分家のおじさんたちに・・・。

「跡継ぎ」という言葉

正直、うんざり。

この時からだと思います。

「自分のやりたいこと」を考えることをやめたのは。

何を考えても親の面倒を見て一生を終えるんだ。お嫁にもいけないんだ。親が決めた人と結婚して家庭をまもり、墓を守り一生を終えるんだ。

何とも、真っ暗闇な心を持った小学生だったです。

大嫌いなお寺。

仏様に罪はないが、私にとっては心がズシーンと重くなるところです。

でも、人生の折り返し地点を迎えたことから・・仏陀が私に近づいてきてくれました。いや、もしかしたら自分から手を伸ばしてつかまろうとしていたのかもしれない。

仏陀とお釈迦様と、仏教とお寺、宗派をなんとなく同じくくりで考えていた私に、手塚治虫氏が引き合わせてくれた。

「ブッダ」

父が亡くなった次の年から勉強を始めたのは「産業カウンセリング」。

傾聴して共感する。信頼関係を築き、クライアントに寄り添う。

そういうカウンセラーの姿勢を学んでいくにしたがい、自分の心のよりどころが欲しくなったのかもしれないです。

「今ここでの気持ち」を大切にするカウンセリング。それなら、余計にぶれることは出来ないでしょう。

「聴かせて頂くカウンセラー」が、感情に振り回されることなく、ぶれずに自分を維持できるように「何か」を探していたのかもしれないんです。

私の考え方・生き方は「いつも何かを探している」

だから、不安定だともいえるんです。定まらない。

本当は、自分がカウンセリングを受けたかった。だけど、カウンセリングそのものに興味も出てきて、産業カウンセラーになった。

ただ、産業カウンセラーになって話を聴かせてもらう立場にもなったけれど、相談者の感情に巻き込まれずに自分を大岩のように置いておくことが難しかった。

そうやって、「これなら」という「何か」をいつも探している。

さて、だいたいは企業の中に配置されることの多い「産業カウンセラー」。

私も従業員相談窓口としての電話対応や、社内で発生した問題も担当しました。

上司との問題、同僚との問題、家族の問題を抱えて働く辛さをいろいろ聞かせてもらいましたが、すべては本人に起きている問題で、決して他人が代わりに解決できるような問題はありません。

つまりは、本人の心のありようで、進む方向は決まってしまう。

カウンセリングは、傾聴を通して本人に寄り添い、本人が問題を解決していくことを支える役目です。

ところが、本人自らが問題に築き解決していくには、やはり本人の「心のパワー」が必要なんです。

そう、その「心のパワー」「ぶれない自分」はどうやって育てるんだ。

考え方を学ぶしかない

それに気づいたとき、カウンセリングと仏陀が一つになって、私の中に落ちてきたような気がしてならないんです。

仏陀なら何と言うだろう?

「仏陀」に関する書籍をいろいろ読みました。

今でも、気になるタイトルがあれば買い求めます。

まだまだ勉強は足りないのですが、自分の生きるための心のよりどころとして「仏陀」がいるということは幸せなことだと思っています。

実際に存在したのですね・・仏陀は。

子供たちが全員社会人になった年、インド、ネパールの8大聖地をまわらせてもらいました。

本当にありがたいことだと思っています。

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